公開日:2026/06/12
【人事労務】2026年、ベトナム高成長の裏側で進む「人件費上昇」
〜最低賃金・社会保険・採用競争から考える日系企業の人事再設計〜

| 2025年のベトナム経済は高い成長を記録し、2026年に入ってからも力強い拡大基調が続いています。一方で、現地で事業を行う日系企業にとっては、成長市場ならではの新たな課題も出ています。それが「人件費上昇」と「人材確保の難しさ」です。最低賃金の引き上げ、社会保険制度の改正、採用競争の激化、既存社員の処遇不満など。これらは個別の問題に見えますが、実は企業の人事戦略や人事制度設計と関係しています。 本コラムでは、日系企業が取り組む人事制度見直しにあたって、給与・評価・採用条件のポイントを整理します。 |
I. 高成長が続くベトナム。しかし企業側には「人件費上昇」の波
ベトナム経済は、引き続きASEANの中でも高い成長力を示しています。2025年のGDP成長率は8%を超え、2026年第1四半期も前年同期比で7%台後半の成長となりました。製造業、輸出、サービス業、国内消費のいずれも底堅く、ベトナムが引き続き有望な投資先・生産拠点・消費市場であることは間違いありません。
一方で、経済成長は企業にとって良い面ばかりではありません。成長市場では優秀な人材への需要が高まり、給与水準も上昇します。特にホーチミン、ハノイ、ビンズン、ドンナイ、バクニン、ハイフォンなど、外資系企業や製造業が集積する地域では、人材獲得競争が激しくなりやすい傾向があります。

日系企業の現地法人からも、近年「給与を少し上げれば日系企業で働きたい社員を採用できる」という段階は過ぎた、という相談が増えています。人件費を単なるコスト(費用)として見るのではなく、採用・定着・育成・評価を含めた「人材投資」として再設計する視点がより必要となっています。
II. 最低賃金改定や競争激化で市場賃金上昇が与える実務上の影響
2026年1月から、ベトナムの地域別最低賃金は引き上げられました。都市部や工業団地が多い地域では、最低賃金改定が給与設計に与える影響は小さくありません。最低賃金改定というと、まず「下回っていないか」というコンプライアンス面だけを確認しがちですが、実務上より重要なのは、その先に起こる「給与バランスの歪み」です。また、シンガポールや韓国、中国などの資本企業進出増による市場賃金高騰も採用者だけ目を向ける事で「給与バランスの歪み」が生じます。
例えば、下位等級や新入社員層の給与を最低賃金に合わせて引き上げた結果、数年勤務している既存社員との給与差が圧縮され、新入社員との給与があまり変わら ない「実質の給与逆転」が発生してしまいます。
| 【既存社員に広がる見えない不満】 • 「なぜ長く働いて貢献している自分より、新人のほうが高いのか?」 • 「必死に成果を出して昇給しても、最低賃金の底上げで差を詰められてしまう」 • 「会社は外の人には高いお金を払うが、今いる人を大切にしないのか」 |
ベトナムでは友人や同僚同士の給与情報の共有が活発なため、こうした不満は驚くほどの早さで社内に伝播します。賃金対応は、単なる法令クリアではなく、「給与テーブル全体を見直す最大のチャンス」として捉える必要があります。
III. 社会保険制度の改正と「見えにくい人件費」の増加
2025年7月から、ベトナムでは改正社会保険法が施行されています。企業負担が増大する中で注意したいのは、基本給、役職手当、住宅手当、食事手当など、給与手当の構成が複雑であればあるほど、社会保険の算定基礎から除外できるかどうかの労務リスクが増大するという点です。
| ■ 監査時に指摘されやすいポイント | |
| □ 手当の支給目的が社会保険対象外に合致しているか | □ 雇用契約書と支給実績、賃金規程に矛盾がないか |
| □ 外国人労働者の保険加入が漏れていないか | □ 手当の名目変更だけで保険料逃れをしていないか |
給与を上げる場合、額面給与だけでなく、会社負担分の社会保険や関連コストを含めた「総人件費(トータルコスト)」を正確にシミュレーションして意思決定することが極めて重要になります。

IV. 日系企業で起きやすい「給与制度の歪み」主な例
ベトナムの日系企業では、急激な外部環境の変化に伴い、以下の5つの「制度の歪み」が非常によく発生しています。
| ① 入社時給与の個別交渉 採用を焦るあまり、候補者ごとに個別で給与を決めてしまい、同じ職位でも社内給与差が大きく開く「社内不公平」が発生する。 |
② 横並びの「一律昇給」 毎年全員一律の昇給を行うことで、優秀な層と平均層の差がつかない。「外に出た方が給与が上がる」と優秀層が真っ先に離職する。 |
| ③ 役職とレンジの不連動 リーダーやマネージャーの肩書きは与えるものの、役割や責任に対する給与レンジが未定義。責任だけが増える不満が発生する。 |
④ 下位層のみの最賃調整 最低賃金改定のたびに下位層だけを上げ、中間マネージャー層の給与を据え置く。給与テーブル全体が詰まり、昇進の価値が薄れる。 |
| ⑤ 採用市場価格と既存社員給与の乖離 外部から高い給料で中途採用をするものの、既存の優秀な社員がその事実を知った瞬間に離職する、または新人が孤立する悪循環に陥る。 |
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これらの課題は、その場しのぎの微調整では解決できません。等級、役職、評価、昇給、採用条件を一体として「構造的に見直す」必要があります。
V. 人件費上昇時に必要な「人事制度再設計」のポイント
給与単体を切り離して考えるのではなく、以下の主なポイントを体系的に設計することが求められます。
| 要素 | 人事制度再設計のポイント |
| 1. 給与レンジ | 各等級ごとに日系企業に捉われない市場範囲を参考に「上限・下限」の幅を確定させ、個別交渉での範囲外決定を抑制する。 |
| 2. 等級・役職定義 | 給与差(レンジ差)の根拠となる「責任・役割・期待値」の違いを明文化して公開する。 |
| 3. 評価制度 | 「何を頑張れば評価されるか」を定量、または客観的な行動指標(明確な達成水準)で合意する。 |
| 4. 昇給ルール | 律昇給を廃止し、評価結果と「現在のレンジ内の立ち位置」を踏まえて昇給率及び昇給額を決定。 |
| 5. 採用条件 | 採用時給与をベースにしながら、それが社内の既存スタッフの給与テーブルと矛盾しないよう微修正を加える。 |
VI. 採用競争に勝つためのポイント
給与水準は重要ですが、給与額だけで外資系企業や大手ローカル企業と真っ向から勝負をすることは、日系企業にとって現実的ではありません。
ベトナムの若手・中堅人材は、給与の額面と同等以上に「この会社で自分の市場価値を高められるか」を非常に重視しています。そのため、求人票や面接では、単に仕事内容を説明するだけでなく、以下のような「価値観の提示」がポイントとなります。
| ■ 成長ストーリーの提示 入社後どのような役割を期待され、どのようなステップで昇進・昇格していくのかという道筋を明確に提示する。 |
■ 日本品質の技術力習得 日本本社や海外拠点と連携し、高いレベルでの業務設計や課題解決力が身に付く「学習環境」を提示する。 |

VII. (参考)人事制度総点検チェックリスト」
| ✅ | 地域別最低賃金の引き上げ後、全社員の給与が法令基準を上回っているか 2026年1月からの改定額に対する実態確認 |
| ✅ | 下位等級と中間層の給与差が不自然に縮まっていないか 目詰まり現象の有無の点検 |
| ✅ | 新規採用者と既存社員の給与バランスに「逆転現象」が起きていないか 社内公平性を著しく損なうポイントの発見 |
| ✅ | 各役職・等級ごとの給与レンジ(上限・下限)が明確になっているか 個別交渉による賃金高騰を抑制できているか |
| ✅ | 手当の種類・支給条件・社会保険上の扱いを正しく整理できているか 複雑化した手当による将来的な労務監査リスクの排除 |
| ✅ | 日本本社と現地法人で、ベトナムの人件費上昇に対する「認識」を共有できているか 「昔のベトナム」のイメージのまま採用決裁を遅らせている本社側の啓発 |
まとめ:人件費上昇は「組織を強くする見直しの好期」
ベトナムの高成長は、日系企業にとって大きなチャンスです。しかし同時に、人件費上昇、採用競争、制度改正という形で、企業の人事運営にも変化に合わせた対応が求められています。
重要なのは、人件費上昇を単なる「負担増」として捉えるのではなく、自社の人事制度を抜本的に見直す好期と捉えることです。
給与テーブルは現状に合っているか。昇給ルールは社員に納得されるものになっているか。採用条件は市場と社内バランスの両方を踏まえているか。そして、日本本社は現地の人材市場の「当たり前の変化」を正しく理解しているか。これらを一つずつクリアにすることで、企業は人件費を単なるコストから、組織成長のための「投資」へと変えることができます。
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